top of page

介護が始まるきっかけは、実は似ている!?介護経験者であるメンバーの事例|factoriaVOICE「ライフステージが変わってもその働き方で大丈夫?_介護編❹前編」


介護が始まるきっかけは、実は似ていた!?

佐藤 factoriaVOICE「ライフステージが変わっても、その働き方で大丈夫?_介護編」の第4回目は、メンバーの坂田弘美さんの事例を伺っていきたいと思います。 まずは、弘美さんの自己紹介をお願いできますか?

坂田 factoriaメンバーの坂田弘美です。アロマを学ぶ・アロマを使うシンプルなライフスタイルをコンセプトにしたAMBER BOTTLE AROMATHERAPY主宰兼アロマコンサルタントをしています。factoriaには2022年2月から入会しています。

過去、母親の介護経験があり、今回は当時のお話ができればなと思っています。

 

父親の死と同時に始まった、本格的な母親の介護


佐藤 事前に、瞳さんと恵子さんにはお話していたのですが、弘美さんのお母様と私の母とが同じ病気だったので、弘美さんから病気に関するいろいろなことを教えて頂けて、とても心強かったというお話をしていました。

弘美さんの介護の始まり方はどんな風に始まったのでしょうか?

坂田 元々、父と母の二人暮らしだったのですが、父が7,8年前に亡くなってからは、母は一人暮らしをしており、私や姉とは別々に暮らしていました。 今考えると、父が亡くなる2年弱前から、少しおかしかったんだと思います。

佐藤 どんなところがおかしいと思ったのか、具体的に聞いてもいいですか?

坂田

父が亡くなる数年前から、両親のことが心配で実家へ通うようになっていたんです。その中で、母の様子がおかしいなというか、最初に違和感があったのが、料理の味が変わったなっていうことだったんです。 加えて、物忘れも激しくなってるし、もしかしたら認知症かなとなんとなく思っていました。また、父からも「母の物忘れが激しい」ということを私に訴えかけるような感じで言われていたこともあり、認知症かもという思いが強くなっていました。 今思えば、嗅覚もちょっと鈍ってましたね。ハンドクリームを作って持っていくと、こんな香りがしない?と聞いても、「全然わかんない」という反応もあったので。 それから、父が亡くなり、その精神的なダメージがかなり大きかったようです。

その時から変なことを言うようになったり、見ないものが見える、例えばいないはずの人がいる、といったことがあったんですね。

私には姉がいるんですけども、姉もやっぱり認知症じゃないかとすごく心配していました。 父が亡くなった直後、母が、私と姉が誰だかわからなくなったという出来事がありました。私と姉の名前を忘れたとかではなく、「あなた達、誰?」みたいな感じでした。流石にこれはまずいねということで、父が入院していた病院の神経内科に母を連れて行ったんです。

どうして内科に連れて行ったのかというと、父が亡くなった直後、母が「あなた達、誰?」と言っていた時に、看護師さんがちょうどいらしたので、 「こういう時はどうしたらいいんでしょうか?」と聞いたら、看護師さんに「神経内科に行ってみてください」と言われたことと、父が入院していたのが大きな総合病院だったこともあり、そこからの紹介という形で、神経内科を紹介してもらい、受診しました。

それが介護の始まり、最初のきっかけでしたね。

高木 夫の母親も認知症で介護施設に入ってますけど、弘美さんのお母様と同じように、夫の父親が亡くなってから、急に症状が出始めたようです。振り返ると、その前からちょっとおかしかったかもっていうのはあったんですけど、伴侶を亡くした後、1人暮らしをするようになって、急激に進んだような話を聞きました。

佐藤 うちも似てるんですよ。父はまだ亡くなっていないのですが、母が認知症を罹患したきっかけの一つと言われるのが、父の耳の聞こえが悪くなったことがすごくショッキング、要は父がどんどん年を取り早く死ぬんじゃないかという恐怖心があったんじゃないかと医師は言ってるんですね。 そういったストレスや新型コロナウイルス感染症に関するストレスなどを、母は元々潜在的に抱えていて、たまたま脱水症状となり、熱中症、小さな脳梗塞がいくつもでき、それが認知症を発症するきっかけになったようです。 高齢になるとパートナーの健康不安だったり、死亡などは、かなり大きな要因になるようですね。

お母様が神経内科を受診した後は、どうでしたか?


 

地域包括支援センターに介護相談へ。そして、姉妹での介護分担

坂田

その後、病院に行って検査をしつつ、 姉が地域包括センターに行こうということで、いくつかデイサービスの事業所を見学したり、実際に介護サービスを受けるような動きをするようになりましたね。

高木 地域包括センターとは、どのような場所なのでしょうか?そこでどんなことを相談されて、どういう風な動きをしてくださったんですか?

坂田 相談する内容自体も私達も何もわからなかったので、まずは母の現状と父が亡くなり母が一人暮らしになったという説明をし、これからどうしたらいいんでしょうね?と相談した記憶があります。 その時に、介護認定の話を聞いたような気がしますけど、あんまりよく覚えていなくて。だから、一般的な介護の道筋というか説明を受けたんじゃないかなと。

室津 地域包括センターは、介護相談を主に受ける場所ですね。弘美さんがおっしゃったように、介護についての相談ができたり、介護の道筋を教えてくれますね。 弘美さんとお姉さんは、親の近所にある地域包括センターに行かれたのですよね?

坂田 はい、そうです。

室津 リスナーの皆さんにもお伝えしたいのは、地域包括支援センターは管轄が決まっているので、親の自宅近所の地域包括支援センターに行きましょうというのをお伝えしておきますね。 弘美さんとお姉さんは、どういうふうに介護の役割分担をしたんでしょうか?

坂田 明確な分担はあんまりしなくってというか、すごく難しかったですね。 姉は、結婚して、ほぼ専業主婦みたいな感じなんで。当時の私は、編集の仕事をしてたので、あまり時間の融通が効かせられなくて、私よりも時間があるだろうなと思って姉を頼りにしていたんですけれど、姉は姉で結構それが負担になっていたようですね。

最初のうちは、役割分担よりは、どちらか都合がつく方が対応する形でやっていました。

一番ネックになってたのが、母の貯金が少ないということと、買い物ですね。 認知症となり、買い物がしづらくなってるので、 週1回はどちらかが買い物をして届けたり、母が元気だった頃に母がボランティア活動をしていた繋がりで、そのボランティア団体の方に買い物をしてもらったりしていましたが、その方も母の様子がおかしいので続けるのが難しいということになり、姉と私でしばらく通って、週1回はご飯を作り置きしたりしていました。


お金の管理に関しては、管理が全然できてないし、 できなくなるのは目に見えていたので、1週間の予算を作ったり、不要な現金を置かないようにして貯金のコントロールをしたり、金融機関口座の管理を出ていく口座と貯める口座を完全に分けるようにしたりしました。 とにかく、お金を貯めていかないと、将来的に特別養護老人ホームに入るにしてもお金が必要ですし。姉とお金を貯めるための相談をしました。


佐藤

お母様がボランティア活動されていた時のボランティア仲間からお母様の近況報告があるって、すごい連携ですね。子供達が知らない普段の親の状態の情報共有って有難く、大事だなと。 前回のチーム体制作りの話にも通じる部分で、改めて必要なネットワークだなと再確認しました。

 

前編は、ここまで。後編へ続く。


 

今回、介護経験者として、ご自身の介護事例を紹介してくださった坂田さんのプロフィールは、下記です!

 

坂田 弘美(さかた ひろみ)

AMBER BOTTLE AROMATHERAPY主宰・アロマコンサルタント

公益社団法人 日本アロマ環境協会(AEAJ)認定アロマテラピーインストラクター

1967年生まれ。神奈川県茅ヶ崎市出身。

大学卒業後、印刷会社制作部にてテクニカルライターとして大手電機メーカーのマニュアル執筆に携わったのち、外資系ITベンダーに転職し、開発部門にて英文マニュアルのローカライズに従事。

その後、エディトリアルな分野とテクニカルな分野の狭間で、自身のキャリア形成に迷うなかで「ものづくりは、使ってもらい、使い倒してもらって、はじめて価値が生まれる仕事」という気づきを得て、IT系の書籍編集者に転身を決意。2002年より株式会社ソキウス・ジャパンにて「徹底攻略シリーズ」(株式会社インプレス刊)の編集者として数多くの書籍を担当。2015年に同社を退職後も、引き続き「徹底攻略シリーズ」の編集を担当。

2021年いっぱいで編集職のキャリアに区切りをつけ、2022年よりアロマセラピーの教室「AMBER BOTTLE AROMATHERAPY」をスタート。




bottom of page